本寺は天正18年に了善法師が外神田に創建したもので、はじめは光瑞寺と号していたが、のち本願寺に属し、願正寺と改めた。
寛永の頃は麹町にあったが、江戸城の外濠を造るため、延宝8年牛込原町に転じ、明治43年に現在の地に移転した。
墓地には、外国奉行・新見豊前守正興とその父親の新見正路の墓がある。正路は大阪町奉行をつとめていた。
新見豊前守は万延元年に、アメリカ軍艦に乗って日米修好通商条約の批准書交換のため渡来した。大正7年にモーリス。昭和35年にはマッカーサ駐日大使が、日米修好の大役を果した新見正興の墓を詣で、日米親善の記念樹を植えた。
また砲術家として知られる井上外記の墓もある。
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